ウェブサイトを更新しました

2017年3月の「東京迂回路研究」事業終了から、はやくも4か月。
すっかり季節が移りましたが、みなさまお変わりありませんか。

事業の終了に伴い、「東京迂回路研究」ウェブサイトは、これまでの足跡を記したアーカイブサイトに変更しました。
今後は、「多様性と境界に関する対話と表現の研究所」ウェブサイトブログにて、ゆるやかに情報を更新していきます。

ブログはこちら→http://diver-sion.org/blog/
または、「多様性と境界に関する対話と表現の研究所」トップページの左上にある「ブログ」をクリックしてご覧ください。

特定非営利活動法人多様性と境界に関する対話と表現の研究所は、おかげさまで6月に総会を終え、今年度もゆるやかに活動を継続することとなりました。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(長津結一郎)

【週報】4月、「東京迂回路研究」3年間を終えて

4月になりました!
新しい環境で、新しい生活を始める人も多い季節。
私たちにとっても、大きな変化がありました。

2014年に開始したプロジェクト「東京迂回路研究」が、2017年3月をもって、終了いたしました。

「東京迂回路研究」3年目。
これは同時に、「東京迂回路研究」という3年にわたる事業の最終年でもあり、昨年度は常にこのことをどこかで意識しながら活動してきた1年間でした。

この3年間で取り組んできた、東京の「迂回路」を「さぐり」、「つなぎ」、「つくる」ということ。

抽象的なテーマを、どれだけ具体的なプログラムに落とし込み、
言葉にし、伝え、共有し、ともに問い、話し、考えていくことができるか。

「わかりにくい」と言われてしまう場面も多々ありましたが、それでも「なんだかおもしろそう」「自分にも必要だから」と活動に賛同し、協力してくださったみなさまがいたからこそ、3年間の事業はあったのだと思います。

「迂回路」をめぐる旅のような日々、その試行錯誤のなかで、見、聞き、感じ、体験し、出会ってきたこと、もの。
それらに学びながら、歩んでくることができました。

依頼を快く受けてくださったゲストの方々、事業実施協力者の方々。
厳しくも温かい視線を注いでくださった共催団体の方々。
イラストやデザインで多大なる協力をしてくださった方々。
そして、私たちが開催するイベントに足を運んでくださった方々。
そうした方々と交わした言葉に学びながら、歩んできました。
ここでそれぞれのお名前をあげることはできませんが、みなさまに改め
て感謝を申しあげます。
ほんとうにありがとうございました。

私たちはこれまで、あらゆる現場で息づいているであろう思考と創
造性、その豊かな営みを丁寧に見ていくことで、生き抜くためのヒン
トを得ること、それを関心のある人々に伝えていくこと、そしてまた
共に考えることを目指してきました。

今後も、かたちは変わるかもしれませんが、こうしたことを続けていきたいと強く思っています。

もちろんNPOは続きますが、2017年3月をもって、事務局は解散となります。

またどこかでお会いできたら嬉しいです。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。

(井尻貴子)

【週報】地域の物語2017 『生と性をめぐるささやかな冒険』演劇発表会を観て

花が咲き、いよいよ春めいてきましたね。
事務局では、「JOURNAL東京迂回路研究」の発送作業にいそしんでいます。

先日、世田谷パブリックシアターに、演劇を観に行きました。
タイトルは、「地域の物語2017 『生と性をめぐるささやかな冒険』<女性編><男性編>発表会」

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「地域の物語」は、世田谷パブリックシアターが、参加者を公募して行っているワークショップ。「その年ごとにテーマによって集まった一般の方々が、ワークショップのプロセスを通じて発見したこと、伝えたいと思ったことを発表作品へととりまとめていくプロジェクトです」(パンフレットより)。

今回のテーマは「生と性」。
パンフレットには、こう書かれていました。

「男性」であることや「女性」であることは、
そのうちに、その中に、さまざまな多様性があり、
グラデーションとなっている。
そういうふうにして、私たちは「性」を生きているんじゃないか。

舞台は、それぞれの参加者の体験をもとにした短いシーンがいくつも連なって、一つの作品になっていました。年齢も経験も様々な人たちによって演じられるシーンを観ていると、自分自身の経験が呼び起こされたり、母や祖母の顔が浮かんできたりして、ぐっと自分をえぐられるような気持ちにもなりました。

なかでも印象に残ったのが、〈女性編〉の、「女になることについて」というシーンです。
車椅子に乗って登場した女性が、「女でいるだけでは、女になれない気がしている」と語りました。「女というより、障害者として見られてきたと思う。家事や、化粧など、何かをしなければ、女に見られないのではないかと思ってしまう。」
「障害」というラベルを張られてしまったがゆえに、「女になること」、「自分になること」を阻まれてしまう人。私自身も「障害/健常」のラベルを誰かに張ってしまっていることに気づかされつつ、「女になること」とは何だろう、と考えさせられるシーンでもありました。

自分自身のことを表現する出演者たちの表情が、とても生き生きとし、自信にあふれていて、素晴らしい舞台だと思いました。舞台を通じて、自分が当たり前だと思っていたことを揺さぶられたり、気づいていなかったけれど感じていたことが湧き上がってきたりする時間でした。

(三宅博子)

【週報】JOURNAL 東京迂回路研究 3、発行しました!

先日、ついに「JOURNAL 東京迂回路研究 3」が、完成しました!

「東京迂回路研究」のジャーナル、3号目。
前号より、すこしボリュームアップしての発行となりました。

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昨年末からの執筆、編集作業。
今年は、ジャーナル発行記念イベントも予定していたため、
果たしてイベントに間に合うだろうか・・・と不安になったときもありましたが、
なんとか1冊のかたちにまとめることができました。

今号は、これまで同様、研究所員だけでなく、この1年間の活動に参加してくださった皆様からも寄稿いただいています。
これは、「東京迂回路研究」というプロジェクトにおいては、とても重要なことだと考えています。

私たちが目指してきたのは、多様な人、それぞれが、それぞれのままに、互いを活かしあって創造していく社会。

いろいろな人の実践や経験や視点が、また別の人々にヒントを与え、新たな道が生まれていく社会。

ささやかながら誌面でも、そうした状況をつくれればと考えています。
ご協力くださったみなさま、ありがとうございました。

「JOURNAL 東京迂回路研究 3」、ぜひ多くの方に、ご覧いただきたい、手にとっていただきたいです。
そしてお時間ありましたら、ぜひ感想をお聞かせください。
それがまた、私たちにとって、新たな道への道標になると思っています。

*「JOURNAL 東京迂回路研究 3」は、下記のウェブページより全編ダウンロードしていただけます。
また、送料をご負担いただくかたちになりますが、ご希望の方には配布しています(配布受付は2017年3月31日まで)。
よろしければ、下記ページの「お申し込みフォーム」よりお申し込みください。
お待ちしています。
http://www.diver-sion.org/tokyo/program/journal3/

(井尻貴子)

【週報】「ささやかさ」に目を向けること:藝大音環の卒展に参加して

こんにちは、研究所員の石橋鼓太郎です。
三寒四温の日々が続いていますね。

さて、先月の初め、2月10日から12日にかけて、私が現在通っている東京芸術大学千住キャンパスにて、「東京藝術大学音楽環境創造科/大学院 音楽音響創造・芸術環境創造 卒業制作・論文/修了制作・論文発表会」が実施されました。
展示・コンサート・音響作品・映像作品など、さまざまな形態の卒業・修了作品と、卒業・修了論文が、キャンパス内のあらゆる教室で発表されました。

その中で、印象的だったのが、いくつかの作品や論文の中に、何か共通するような問題意識が見えてきたことです。
例えば、松浦知也さんの《送れ | 遅れ / post | past》は、記憶や記録という行為の曖昧性や流動性に着目し、情報が空間の中を流れ続けることで結果的にその「記録」がおこなわれるようなシステムが組まれた作品でした。
また、渡辺千加さんの作品《Player》では、「おもちゃ楽器」という楽器と玩具の間にあるものを使って、コンサートと遊び、演奏者と鑑賞者の境界を曖昧にすることが目指されていました。
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あるいは、前田菜々美さんの《ケに介入しうごめいて、ケに完結する日々のこと》では、個人の創造性がみんなで集まる「ハレ」の時間に集約されてしまうことへの疑問から、個人的な「ケ」の時間に始まり「ケ」の時間に終わるような実践とその言語化が試みられていました。

他にも面白い作品や論文がたくさんあったのですが、紹介はこのくらいにして…
その多くに共通するように感じられたのは、強固な全体性に対峙するために、その外部に別の強固なものを打ち立てるのではなくて、そのミクロな内部における断片性・曖昧性・流動性・瞬間性などに着目し、そこから全体を浸食していくようなことを試みた実践であったということです。つまり、ある社会や共同体のあり方をセンセーショナルに糾弾するのではなく、個人の実感にもとづいた小さくもやもやとしたもの・ことを丁寧に拾い上げ、それを作品や論文といった形に落とし込んで他者に伝えていくようなものが多かったように感じられたのです。それは、「ささやかさ」に目を向けること、と言い換えることもできます。

翻って考えてみると、このような態度は、今年度の東京迂回路研究の考え方にも共通する部分があるように感じられます。今年度、東京迂回路研究では、「迂回路」という言葉を次のように捉えなおしました。

「迂回路」とは、行き止まりに突き当たった人々が脇に逸れて新たに開拓する道なのではなく、日常の中における自分と他者の関係、そして自分と自分の関係が変わることで、他者との間に立ち現れてくるような道なのではないか(本年度事業概要文より)

自らの実感に基づいた、分かりにくくもやもやとした「ささやかさ」に目を向けること。そしてそれを丁寧に拾い上げ、形にし、他者に伝えること。それは、もしかすると、制作者それぞれにとっての「迂回路」の探求であるとも言えるのかもしれません。今回の卒業制作展では、そのことの大切さと切実さが、筆者と同年代の人々の間でそれとなく共有されつつあるのだ、という希望を感じることができました。

(石橋鼓太郎)