【週報】齋藤陽道さんと、ふたたび筆談対談します

週報、なかなか追いついていません。
芸術の秋、どこもかしこもイベントだらけですね。

というわけで、私がこの事業とは別で関わっているイベントのご紹介を。
フォーラム「対話は可能か?」で、私と筆談で対談させていただいた、写真家・齋藤陽道さんの個展です。

齋藤陽道展「なにものか」

この展覧会は、日本財団が全国に開設している「アール・ブリュット美術館」のうちの4館の合同企画展「TURN/陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」の関連企画として開催されるものです。
齋藤さんは、この美術館の風景や、その運営母体となっている社会福祉にかかわる施設へ滞在し、仮面を制作し、撮影しました。
展覧会運営に関わっている役得?で、今回オープニング記念の筆談対談をやることになりました。

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フォーラムでの筆談対談のようす(撮影:冨田了平)

齋藤さんのウェブサイトに、こんな文言を見つけました。

それぞれのみんながみんな、何かの断片でしかないな、ということです。
言いかえると、みんなたったひとりの当事者だということで、
その当事者だという自覚が強くあるひとと会いたい。(引用元

たとえば、とかく「アール・ブリュット」という分野は、本来の意味から離れ、障害のある人の表現活動であるという点が強調されがちです。しかしそのような「線引き」ではない場所に、齋藤さんはいるのだなと思います。なにかとなにかのあいだをへだてる境界を、齋藤さんの写真はあざやかに切り取り、写しているなと思います。既存の線引きをはずしたところで、「たったひとりの当事者」であるという地平で、向かい合うこと。
齋藤さんは障害者プロレス「ドッグレッグス」のレスラーでもあり、先日試合を見に行ったのですが(こちらにもそのときのことは別の角度から書きました)、やはり同じような思いにかられました。なにかの固定概念にとらわれた世界ではないところで、向き合うということ。鋭い眼光と、でも試合が終わるとすぐに一眼レフをかまえて相手を撮影しはじめるそのふるまいに、まさにこの一瞬をとらえるのだ、という態度を強く感じました。

でもこの文章は2012年のもの。
現時点でなにを考えているのか、じっくり伺えればなと思っています。
齋藤さんの作品をじっくりと写真展として見つめるのも久しぶりの機会で、
私自身とても楽しみにしています。
会期は23日までです。

(長津結一郎)

フォーラムへの集中連載⑦フォーラム「対話は可能か?」を支える

連載7回目。いよいよ開催当日となりましたが、最後はこのフォーラムを支えるいくつかのことについて。

★これまでの連載
①「対話は可能か?」
②前夜祭『「幻聴妄想かるた」大会』
③プログラム1『トークセッション「共に生きるということ」』
④プログラム2『ライブ「Living Together × 東京迂回路研究」』
⑤プログラム3『出張ふわカフェ × 東京迂回路研究』
⑥プログラム4『シンポジウム「対話は可能か?」』

 

 

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今回のフォーラムでは、「UDトーク」というアプリケーションを開発しているShamrock Record株式会社のみなさまにお世話になることになりました。これは、「講演の字幕作成に音声認識技術を使うことにより、リアルタイムで字幕を作成することができます。講演者が字幕の出方を確認しながら発話を編集者と合わせていくことによって、情報量が多く正確な字幕を内製できます。また一人でも、字幕を修正しながらのリアルタイム作成が可能です」(出典)というもの。今年わたしが出演した六本木ヒルズでのイベント「Hills Breakfast」でたまたまご一緒させていただいた縁で、今回ご尽力いただくこととなりました。
こちらのブログでもUDトークについては以前ご紹介させていただいています。

もっと日常的に用いられることになれば、私たちのコミュニケーションのあり方そのものも変わっていくかもしれません。そしてそれは、人々の「多様性」とその間に横たわる「境界」のあり方、またそれに関わる「対話」と「表現」のあり方にも深く関わってきます。(出典

 

 

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今回のチラシのメインビジュアルは、森俊輔さんの「遠くへの行き方」という作品の一部から構成しています。フォーラムのチラシというのは、とかく文字情報ばかりというイメージが強いですが、今回わたしたちの「対話は可能か?」という問題意識を表してくれるようなビジュアルを考えていたところ、森さんの作品に行き着きました。森さんはぼく自身の古い友人でもありますが、昨年の「東京迂回路研究」のイベントにもよく足を運んでくださいました。現在は東京都内で美術を教える仕事をされているとのことです。
今回用いたこの作品は、青のボールペンだけで作られた作品です。書き込められたその濃淡がふと集まっている場所があったり、そうでもない場所があったり。場所場所によって見える風景、仮託するイメージが変わる、見る人によって印象が大きく変わる作品だと感じました。
その、ひとつひとつのペンの動きの濃淡が見せられるよう、作品を大胆にもスキャンして、いつもお世話になっているスタジオ・プントビルゴラの吉村雄大さんにチラシのデザインをお願いしました。

 

 

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今回、NPOのメンバーたちは出演するタイミングも多いため、とてもわたしたちだけではこのフォーラムを運営することはできそうにありませんでした。そこで、現場運営を担っていただいているのは「con*tio」のおふたりです。おふたりは福祉と社会を結ぶことを目的としたユニットで、さまざまな福祉施設や福祉に関わる活動とアートをつないでいくような仕事を手掛けていらっしゃいます。おふたりの前職時代から何かとご縁があり、今回もお忙しいなかフォーラムの運営をお手伝いいただくことになりました。
そのほか、たくさんのボランティアさんに支えられ、当日を迎えることになります。関東の外からわざわざこのためにお手伝いにきてくださる方などもおり、活動の広がりを感じるところです。

そのほかにもさまざまな方に支えられながら、フォーラム、いよいよ当日です。
共に生きるということを体感し、そのありようについて考える3日間。
みなさまのお越しを心からお待ちしています。

(長津結一郎)

フォーラムへの集中連載⑥プログラム4『シンポジウム「対話は可能か?」』

連載6回目は、9/6(日)14:00~17:45に開催する、プログラム4「シンポジウム「対話は可能か?」」 のご紹介を。

★これまでの連載
①「対話は可能か?」
②前夜祭『「幻聴妄想かるた」大会』
③プログラム1『トークセッション「共に生きるということ」』
④プログラム2『ライブ「Living Together × 東京迂回路研究」』
④プログラム3『出張ふわカフェ × 東京迂回路研究』

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対話は可能か。
共に生きることを体感する3日間の、最後の時間が、このシンポジウムです。

先日、「もやもやフィールドワーク分析編第2回」で、ゲストでお招きした熊谷晋一郎さんが、東京迂回路研究の今後の「研究」のあり方について、興味深い視点を投げかけてくださいました。「多様な迂回路に共通する生成メカニズムこそが研究なのではないか」というのです。さまざまな生きづらさやしんどさを感じて「やむにやまれず」歩んでいく道であり、しかしそれがいつしかこれまでにない新しい世界を切り開いている道である、わたしたちが言う「迂回路」。実際には背景や状況、場所などさまざまな要素であらわれ方は異なるものの、共通する生成メカニズムがあるのかもしれない。だとしたらそれは何なのだろう、と提起をしてくださったのです。
対談「まるっきり違うのにそれでも似るものーー迂回路をめぐって」では、まさにそのようなことについてあれこれと即興的に語り合う場を設けました。対談をご一緒いただくのは、プログラム2でもご登場いただく、齋藤陽道さん。今回は、筆談での対談を試みます。
齋藤さんとは今回のことを含めて何度もお会いすることができ、いろいろと話したのですが、この筆談対談の打ち合わせらしきことをやったのはもうずいぶん前のこと。思えば長い間準備を重ねていたのです。書いている手触りや痕跡が残るような、あちこちに飛び火しながら行きつ戻りつするような、そんな筆談の時間が豊かなものになるよう、思索を深めて当日を迎えたいと思っています。

パネルディスカッション「対話は可能か?」は、うって変わって、ゲストを3名お迎えしてのディスカッション。昨年度の「東京迂回路会議ー多様性と境界をめぐって」の形式をイメージして構成したシンポジウムです。気づけばみなさま遠方からお越し頂くこととなりました。
秋田からお越し頂くのは、高嶺格さん。これまで身体障害のある木村さんの介助を描いた映像作品「木村さん」や、ご自身とその恋人をめぐる問いと葛藤を描いた「在日の恋人」など、さまざまなアイデンティティを持つ人々を取り上げた作品を多数手がけていらっしゃいます。
大阪からは、上田假奈代さんにお越し頂きます。上田さんは詩人であり、日本三大ドヤ街のひとつ、釜ヶ崎でカフェ「COCOROOM」を開き、その街に暮らす日々を過ごす「おっちゃん」たちとともに「釜ヶ崎芸術大学」という取り組みを行っていらっしゃいます。
もうおひと方も大阪から、細川鉄平さん。昨年来お世話になっている木更津の「井戸端げんき」と同じように、「宅老所」と呼ばれる、通所介護事業所「凡」を大阪で運営されている細川さんは、家庭的な雰囲気のなかで、一人ひとりに合わせた柔軟なケアを行うスタイルで施設を運営されています。

ここでも、齋藤さんとの対談のテーマが響きます。「まるっきり違うのにそれでも似るもの」。それぞれの活動は異なりますが、なにか困難が訪れたとき、しんどさに衝撃を受けた時の身振りやふるまいは共通しているところもあるのかもしれない、と思います。それを、じっくりと掘り当てていくような時間になると良いなと思っています。
こちらも、個別に打ち合わせはさせていただきましたが、この3人が一堂に会するのはこの時が初めてです。対話は可能か、ということを話を聴きながらじっくり考える時間に、ぜひご一緒いただければ幸いです。

(長津結一郎)



[プログラム4]14:00~17:45(開場:13:45) シンポジウム「対話は可能か?」
「対話は可能か?」という地平に自ら立つ方々をゲストに迎えた対話とディスカッション。多様な人が共に生きている社会では、その多様さゆえに、人はいくつもの境界線を引き暮らしています。見えない線による分断を目の前にして、わたしたちは、どのように振る舞い、迂回する道を見出しているのか。「対話は可能か?」という言葉を手がかりに考えます。

会場:慶應義塾大学三田キャンパス東館G-SEC LAB.
定員:80名程度
参加費:1000円

14:00~ あいさつ、プログラム説明
14:10~15:00 対談「まるっきり違うのにそれでも似るものーー迂回路をめぐって」
登壇者:齋藤陽道(写真家)×長津結一郎(多様性と境界に関する対話と表現の研究所)
*筆談による対談を予定しています
15:00 休憩
15:15~17:45 パネルディスカッション「対話は可能か?」
登壇者:高嶺格(美術家)、上田假奈代(NPO法人ココルーム代表)、細川鉄平(通所介護事業所 凡代表)、長津結一郎(多様性と境界に関する対話と表現の研究所)
進行:井尻貴子(多様性と境界に関する対話と表現の研究所)
*UDトークを使った音声認識字幕による情報支援あり



東京迂回路研究フォーラム「対話は可能か?」申し込み受付中です。
詳細はこちらのページから

フォーラムへの集中連載⑤プログラム3『出張ふわカフェ in 東京迂回路研究」』

連載5回目は、9/6(日)11:00~12:30に開催する、プログラム3「出張ふわカフェ in 東京迂回路研究」 のご紹介を。

★これまでの連載
①「対話は可能か?」
②前夜祭『「幻聴妄想かるた」大会』
③プログラム1『トークセッション「共に生きるということ」』
④プログラム2『ライブ「Living Together × 東京迂回路研究」』

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写真は、国際基督教大学におじゃましたときの歓待の様子。

共に生きるということを体感。ただシンポジウムを一方的に聞くだけではなく、話したり、パフォーマンスを体験したりすることで、さまざまな持ち帰り方をしてほしいな、というのが、フォーラムを構想していた当初からの思いでした。しかし一体何をしようかな…と考えあぐねていたころ、たまたま「もやもやフィールドワーク」の調査先としてお邪魔させていただき、「ふわカフェ」のみなさんにお目にかかることができました。

国際基督教大学ジェンダー研究センター(CGS)で定期的に行われているこの「ふわカフェ」。「ジェンダーやセクシュアリティのこと、みんなでふわっとおしゃべりしてみませんか?」という呼びかけのもと、毎回多くの学生さんや一般の方を集めて行われています。テーマはさまざま。カミングアウトのことだったり、「宗教とジェンダー・セクシュアリティ」だったり(さすがICU)、就活や留学の問題のことだったり。いずれも学生さんが直面する課題に対して対応できるような、しかしフォーカスを広げたテーマを設定しておられる様子でした。グランドルールが設定されており、ここで話されたことは口外しないことが約束されます。なので安心した雰囲気で、いろいろな話が交わされるのです。

なぜ、ふわっと話さなければならないのか。もちろんこの「ふわ」という言葉には、「ゆるふわ」という言葉のような、雰囲気づくりに関わる意味も含まれています。お菓子をつまんで、みんなでゆったりとした気持ちで気兼ねなくお話できる、ということも重要な一要素です。ですがそれ以上に大事なのかな、と私が感じたのが、自分のアイデンティティを表明してもしなくてもよく、自分が「何」として、「誰」として存在するという必要がない場づくり、という意味でした。
ジェンダーやセクシュアリティの問題に関わらず、人は多様性の中で境界を引き、引かれながら生きています。その境界が人を守ることもあれば、人を排除したり、傷つけたりすることもあるでしょう。このふわカフェという実践では、「ふわカフェ」という名前で外との「境界」を引き、内側にいるひとの存在を守りながらも、同時にその内部においては「境界」をあえて取り外そうと試みているのだと感じました。そのことで、どのジェンダー「として」、どのセクシュアリティ「として」、ではない自分として時間を過ごすことができる。
今回の「出張ふわカフェ」でも、そのようなことを大事にしています。このお申し込みをされる方については、本名ではなく仮名やハンドルネームでの参加も可能としました。さまざまな方たちで予約はいっぱいになりました。ジェンダーもセクシュアリティもさまざまな方が集まる場になることでしょう。そこでどのような「対話」がなされるのでしょうか。

ふわカフェを運営されているCGSの加藤悠二さん、元CGSの上田真央さんとも打ち合わせをさせていただきました。あの物品はどっちが用意して、あれは私たちが買っておきます、あとここが心配事です、などなど、いつものふわカフェでもこれだけ綿密に計画を立てていらっしゃるのだろうな、ということが思い起こされる時間でした。「ふわ」っとした雰囲気はこのように支えられているんだな、と感じさせられました。井戸端げんきの加藤さんが以前こんなことを言っていたのを思い出したりもします。

繊細な人たちはシャボン玉みたいにすぐに割れてしまいそうな空気感があってそれを割れないように、更にあからさまにならないように場を作る。精神力も体力もあんな小さな場所だけどものすごい使ってるってことはなかなか伝わらない。っというか伝えない。大変ですよーって伝えることが当事者の暮らしを激変させるきっかけにもなるから。
引用元

オープンで開放的ないつもの芝の家とはちょっと違う雰囲気で、安心してお話できる時間になるように進めています。
ここで話されることはここだけのもの。レポートも最小限のものになると思いますが、ぜひ、ここだけの時間、ここだけで話されることに出会うことを楽しみにいらしていただければと思います。

P.S.ちなみに加藤悠二さん、いま個展を開催中です。フォーラムが終わったら行こう。

(長津結一郎)



[プログラム3]11:00~12:30(開場:10:45) 出張ふわカフェ in 東京迂回路研究
国際基督教大学ジェンダー研究センター(CGS)が主催するジェンダーやセクシュアリティについて、みんなでふわっとおしゃべりする場「ふわカフェ」の出張版。今回のトークテーマは「カミングアウト」です。
*国際基督教大学ジェンダー研究センター(CGS) http://web.icu.ac.jp/cgs/
テーマ:カミングアウト
会場:芝の家
進行:加藤悠二(CGS職員)、上田真央(元CGS非常勤助手)
定員:15名程度 
参加費500円
※定員に達しましたのでお申し込みは締め切っております



東京迂回路研究フォーラム「対話は可能か?」申し込み受付中です。
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フォーラムへの集中連載④プログラム2『ライブ「Living Together × 東京迂回路研究」』

連載4回目は、9/5(土)17:30~20:00に開催する、プログラム2「ライブ「Living Together × 東京迂回路研究」」 のご紹介を。

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写真は、以前出演させていただいた「Living Together のど自慢」のワンシーン。

★フォーラムへの集中連載
①「対話は可能か?」
②前夜祭『「幻聴妄想かるた」大会』
③プログラム1『トークセッション「共に生きるということ」』
④プログラム2『ライブ「Living Together × 東京迂回路研究」』
④プログラム3『ふわカフェ in 東京迂回路研究』

Living Together。この言葉に私たちは大きな刺激と影響を受け、東京迂回路研究をすすめてきました。

活動のなかで、はじめてこの言葉に出会ったのは、昨年のトークシリーズ「迂回路をさぐる」でお招きしたアキラ・ザ・ハスラーさんのお話からでした。Living Togetherというのは、「すでに共に生きている」という言葉です。HIV/AIDSの予防啓発の現場でよく目にする言葉で、このような解釈がされているといいます。

予防啓発と陽性者支援を統合した新しい考え方と手法。「HIV陽性の人も、陰性の人も、どちらかわからない人も、この社会ですでにいっしょに暮らしている」ということを前提とする考え方。そのリアリティを共有するために、陽性者やその周囲の人たちの手記集の発行や、手記リーディングイベント、展示会などが行われている。
(出典:特定非営利活動法人ぷれいす東京 HIV/エイズ関連ワード集

多様な人々が暮らしていて、そこに幾重にもある境界線を引き、引かれながら生きている私たち。しかし私たちは、これから境界線を超えてともに生きていこうとするのではない。すでに共に生きている。Living Togetherという言葉にそのような強い意志を感じ、共感を覚え、いつしかわたしたちが活動していくなかでの大きな下支えとなる言葉になっていきました。今回のフォーラムのキャッチコピーとして付けている「共に生きるということを体感し、そのありようについて考える3日間」という言葉も、このLiving Togetherという言葉が背景にあります。

Living Together計画というプロジェクトが立ち上がり、長年行われていた「Living Together Lounge」という試みがあります。
これは、HIV/AIDSの陽性者となった人たちによる手記を朗読し、そのあとライブを聴く、というものです。手記には陽性者となった人々の葛藤や日常の風景、パートナーや家族との関係、さまざまな形で書かれています。朗読する人は、用意された手記のすべてに目を通し、自らの想いを重ね合わせられたり、自分が読んでみたいと思う手記を選び、本番には感想を添えて朗読します。それは、手記を書いた人と、手記を読んでいる人との人生が、ほんの一瞬重なり合っているようです。
そして朗読が終わると、おもむろにライブが始まります。ライブは手記やHIV/AIDSに関係ないこともあれば、大きな影響を受けている場合もあります。いずれにせよ聴衆は、手記の朗読の時間で感じ取ったことを、音楽を聴くということで昇華していきます。
(ちなみにこの実践について、本法人の理事でもある中村美亜さんが事例のひとつとして書籍にまとめています→『音楽をひらく―アート・ケア・文化のトリロジー』

この実践はまさにこのフォーラムにふさわしいのではないか、と思い、NPO法人aktaさん、Living Together計画のみなさんにご協力をいただき、コラボレーションをする機会を持つことができ、豪華な出演者のみなさんにも恵まれ開催の運びとなりました。
齋藤陽道さんは、写真家として大活躍されており、昨年の「JOURNAL 東京迂回路研究 1」の巻頭写真でも記憶に新しいかと思います。また「障害者プロレス」のレスラーという顔も持っています。今回はそのどちらでもなく、朗読という形でご参加いただきます。
佐藤郁夫さんは、ぷれいす東京で長年スピーカー活動をされていて、NHK福祉ポータル「ハートネット」の中で連載もお持ちです。そのとつとつとした文章の語り口そのままのおだやかな雰囲気で、Living Together Loungeにも何度かご出演なさっていたとのことで、今回も朗読で参加いただきます。
GOMESSさんはラッパーで、高校生ラップ選手権で頭角を現しました。現在では複数枚のCDを発売し、ライブも精力的に開催されています。なかでも珠玉はフリースタイルのラップ。今回は朗読とライブの両方をお願いしているところです。
司会をお願いしているマダム ボンジュール・ジャンジさんは、まさにこのLiving Togetherを支えている新宿二丁目のコミュニティセンター「akta」を運営されており、先日のLiving Togetherのど自慢でも司会を務めていらっしゃいました。衣装にも要注目。

共に生きることを体感する時間。そこに介在するたくさんの人々の生を、SHIBAURA HOUSEのガラス張りの夜景とともに、垣間見ていただければと思っています。

(長津結一郎)



[プログラム2]17:30~20:00(17:15開場) ライブ「Living Together × 東京迂回路研究」
HIVのリアリティを共有するプロジェクト「Living Together計画」とのコラボレーションイベント。HIV陽性者やその周囲の人が書いた手紙の朗読とライブを行い「わたしたちは、もうすでに共に生きている」ということを体感します。

会場:SHIBAURA HOUSE 5F バードルーム
朗読:GOMESS(ラッパー) 、齋藤陽道(写真家)、佐藤郁夫(ぷれいす東京)
Live:GOMESS(ラッパー)
進行:長津結一郎、マダム ボンジュール・ジャンジ
定員:50名程度
参加費:1000円
*UDトークを使った音声認識字幕による情報支援あり



東京迂回路研究フォーラム「対話は可能か?」申し込み受付中です。
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