名刺交換は即興セッション。:Hills Breakfastに出演しました

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代表の長津です。「東京迂回路研究」では毎週、研究所日誌として、週替わりでスタッフによる「週報」をお届けしています。

きょうは、東京迂回路研究を共催している「アーツカウンシル東京」の広報担当の方経由でお話をいただき、六本木ヒルズで毎月行われているHills Breakfastというイベントに登壇してきました。
朝8時から55分間、「PechaKucha」というトークイベントの手法(20秒でスライドが入れ替わる、20枚だけのスライドでプレゼンをするというフォーマット。建築家の人たちが、あまり話を長くなりすぎないようにって言ってはじまったプロジェクトだ、っていう話を始めて聞いてちょっとおもしろかった。たしかに建築の人って話が長い印象がある)を使って、わずか1時間で5人の話を聞けちゃうというイベント。

ぼくのプレゼンテーションのようすはそのうちYouTubeか何かにアップロードされるというので、当日の様子はそちらを見ていただくとして。
今回、すごく、なんというか、いい経験になったなということを、忘れないうちに言葉にしておこうと思う。

 

いちばんびっくりした瞬間は、終わった後の名刺交換会。
ぼくは研究者コミュニティだったり、アート系のコミュニティに普段顔を出すことが多くて、こういう会、一般的にいうと「異業種交流会」っていうのが近いかな、に行くというのは初めての経験だった。
ぼくは、わずか6分40秒のプレゼンテーションということで、「境界線」「迂回路」「もやもや」など、ふだんぼくたちが使っている言葉を伝えること、意識してもらうこと、それぞれの人のなかに身体化してもらうことを目指した。といってもそんなに大仰なものじゃなくて、ただ何か少しでも「もやもや」してほしいなと思ってお話をしたと思っている。
終わった後、好評だったのかどうかはわからないけれど、他の発表者の人同様、何人もの人が名刺の交換を迫ってきた。障害や生きづらさの問題についてアプローチしている人もいれば、これからの高齢化社会を憂う人もいたり、東ヨーロッパの民族舞踊をやっている人もいれば、中高年層の転職マッチングをやっている人もいる。たくさんの人と名刺を交換した。
とても驚いたのは、とにかく、ただ名刺を交換する、というだけの人はいなかったこと。そりゃあそうだよなと思うけれど、それぞれなんらか、名刺を携える人たちは、ぼくが話したことに対しての接点を見つけて話題を提供しようと、お話してくれる。「私はこういう仕事をしていて、でもこういうところに”もやもや”するんです〜」とか。「俺はいつも後輩に、エリート街道を行くんじゃなくて”迂回路”を通るほうが豊かなんだぞ、と教えてるんです」とか。一見、ぼくらの活動とはなんの接点もないけれど、いくつかのキーワードをもとに、なんとかかんとか接点を見つけて話しかけてくれることが、嬉しいような気持ちにもなりつつ、「ああこの人たち本当に大変だなあ、そうやって初対面の人との接点を見つけるように、社会のなかで訓練されているのかもしれないなあ」というふうに思ったりもした。名刺を交換することが自己目的化しているから、なのかもしれないな、と一瞬思った。
ぼくらの活動をともにしているスタッフの三宅さんや、インターンの石橋くんも一緒に来てくれたんだけれど(ぼく含めみなさん朝は強くないのに本当にありがとう)、ぼくのふるまいをみて「これから長津はソクラテスみたいになっていくのかな」と言ってたのが印象的だった。道を歩いているといろいろな難解な問いや、あらゆる切り口から発せられる言葉に対して、ばっさばっさと斬り倒していくような様を想像したらしい。ぜんぜん斬り倒すなんてことはしていなかったけれど、でもそうだなと思った。あらゆる方向の切り口から、ぼくらのやっていることに対して共感だったり反感だったりを寄せてくる様子っていうのが、哲学者がいろいろとものごとを切っていく姿に似ているかもしれないなと思った。まあ哲学者じゃないんですけど。名刺を持って並んでいる人たちをひとりひとり、ぜんぜん切り口で話しかけてくるその人たちに対して違う言葉でセッションする感じ、100人斬りという感じもしたし、即興音楽のセッションという感じもして、すごく疲れたけれど、すごく心地よかった。

 

 

こういう場所、すなわち、ぼくらの活動を心底理解していたり、話したらすぐ伝わるような人たちではない人たちが集まるところで話す、という経験の貴重さは、ほんとうに痛感した。ふだんは結構、いろいろなバッググラウンドの場所にお邪魔したり、お話をする機会に恵まれているけれど、それでも最低限、ぼくらがやろうとしていることに対して理解を示していたり、そうでなくてもどの立ち位置で話すべきかということを読み取ってくれる人が多い印象を持っている。だけれど、きょうの場はまったくそうではない場。思っていたより六本木ヒルズに勤務している人は少なかったようだけれど、一般的に言って「社会」を形成している、その最前線にいる人たちが集まっている場ではあったように思う。そりゃあそうですよね、六本木ヒルズに朝8時から来る、しかもそれに毎月来る、という人たちが半分以上いる200人規模のイベントですもん。超アウェー。ぼくはプレゼンの最後で「超リア充」っていう言葉をあえて使ったけれど、そういう形で「線引き」される人たちがたくさんいる場所で、それでも「迂回路」だのなんだの伝えることには、すごく意味があると思った。
なにも啓蒙活動として、「みなさんの生きている道は絶対じゃないんですよ〜、もうひとつの道があるんですよ〜」ということだけを言いたいわけではない。聞いている人にとってなにが響いて、どんな言葉だったら伝わるのだろうか、という、絶好のトライアルになるな、と感じたのだ。何が理解や共感を呼ぶのか、ということを試す場、として、こういう場を今後も踏んでいきたいなと思ったし、こういう「王道」がないことには「迂回路」が浮き彫りにならないな、ということも再確認した。

 

そういう意味で、とても有意義な会だったなと思う。
ぼくらはこれからどんどん迂回路を切り開いていきますから、時々はこっちのほうにも来てください。来なくてもいいけど。

 

 

(写真はインターンの石橋くんが撮ってくれました。朝早くからありがとう。動画を撮ってくれてた三宅さんもありがとう。アーツカウンシル[ちなみにぼくらは略して”アツカン”と呼んでますが]の森さん、坂本さんもありがとうございました)

「JOURNAL 東京迂回路研究1」を読んで

はじめまして!今年度よりdiver-sionにインターンとして参加させていただいております、石橋鼓太郎と申します。東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科の学部4年生で、学校では市民参加型の音楽プロジェクトについての実践と研究をおこなっています。どうぞよろしくお願いします!

さて、インターンスタッフとしての初仕事!ということで、diver-sionの昨年度の記録集「JOURNAL東京迂回路研究1」を読んだ上で、思ったこと、感じたことなどを、つらつらと書かせていただきたいと思います。

「多様性」と「境界」というキーワードについて、私が日頃から感じていることは、「境界」を全く引かずに「多様性」を尊重する形で他者と接することはなかなか難しい、ということです。例えば、電車で外国語が聞こえてきた時、私は「あ、外国人がいる」とどうしても思ってしまいます。特に差別感情はないつもりなのですが、そのように思ってしまうことそのものが差別なのではないか、そしてそれが誰かにとっての「生きづらさ」につながってしまうではないか、さらには自分も何らかの形でそのように見られていることがあるのではないか、などと思い、自己嫌悪に陥ることもしばしば。

しかし、このJOURNALを読むと、そのような「境界」をずらしたり、揺さぶったり、あるいはその「境界」を超えたところで他者と共感したりすることにより、「多様性」を実感することは可能である、ということが、あらゆる事例を通じて見えてくるように感じました。

いくつか印象に残った言葉を引用してみたいと思います。

まず、LGBTの里親制度に関する活動をおこなっている「RFC(レインボーフォスターケア)」の代表、藤めぐみさんの言葉。
「だんだん私は、マジョリティ/マイノリティの境界線など本当は存在しないのではないかという思いにとらわれていった。そこにはグラデーションがあるだけではないか、と。」

続いて、千葉県木更津市にある宅老所「井戸端げんき」の管理者、加藤正裕さんの言葉です。
「不器用でいろんなところを追い出されてきたボクが追い出されないようにするには、まずはボクが誰も追い出さないってこと。だから誰でも受け入れるし、排除もしない。そうしている限りはきっとボクは追い出されないだろうって思っている。」

本冊子で取り上げられている事例では、制度からの逸脱/その再解釈、独特の空気感を持つ場づくり、「個」同士の関係性の重視など、さまざまな仕掛けによって、人間がどうしても引いてしまう「境界」をずらしたり、揺さぶったりしています。このような仕掛けを通して、誰かが生きづらさを感じている、ということを、「マジョリティ」と「境界」で隔てられた「マイノリティ」の問題として扱わないこと。そこには「多様性」によるグラデーションがあるだけだ、ということを実感すること。そして、そのような考え方や感覚の転換を通して、多様な他者とともに受け入れ合うこと。このようなことが、誰かが生きづらさを感じた時の、生き抜くための「迂回路」の探求において、必要とされているのではないでしょうか。

そして、この冊子を読むと、東京迂回路研究における「対話型実践研究」も、そのような事例について調査し、対話の場を設けることで、他者との間にある価値観の「境界」を揺さぶり、参加者が自分自身の「迂回路」を探せるようなデザインがなされており、扱う事例と入れ子構造になっていることが分かります。

今年度は、このような活動をさらに深め、広げていくべく、さまざまなプログラムを計画中です。昨年度と同じくさまざまな施設/団体を調査しつつ、さらに研究的な視点を深めたり、現場同士の声をつなげたりするような、新しい試みも目下進行中です。詳細は後日、webにアップさせていただきます!

今後も何度か週報に登場させていただくかと思いますが、どうか温かい目で見守っていただければと思います(笑)。ではまた!

インターンスタッフ 石橋鼓太郎

新体制と、なりました

長津、三宅、井尻の3人が中心となり運営してきた当研究所。今年度は、新たなメンバーを迎え、新体制で各事業を実施していきます。先日ご紹介した、インターンスタッフの石橋鼓太郎くんに加え、今年度実施を予定している「フォーラム」の運営スタッフとして、con*tioの二人を迎えます。

con*tioは、星と星をつないで星座をつくるように、福祉と社会を結ぶことを目的としたユニット。福祉施設のオリジナルプロダクトのディレクションや、マーケットへの出店、障害のあるアーティストの作品集の企画・編集など、さまざまなかたちで福祉と社会を「結ぶ」「つなぐ」なんでも屋さん。心強いです。
con*tio https://www.facebook.com/contio.info?fref=ts

〇本日の活動
・企画会議
引き続き、今年度の企画会議。昨年度より継続実施となる「もやもやフィールドワーク」のスケジュール調整や、今年度より始める勉強会、そして今年いちばん大きなイベントとなりそうな「フォーラム」について。具体的な内容をつめるとともに、こういった事業をとおし、自分たちは何に触れ、問い、発信していきたいのかについて話し合いました。

・con*tioとのミーティング
今年度のフォーラムについて、con*tioを交えてミーティング。そしてさらに、お互いの最近の仕事や、足を運んだ福祉施設等のこと、「おもしろい」人や場所などについて情報交換。
あらゆる分野で言えることかと思いますが、どのような視点でその場を捉えるかにより、その場の見え方は変わってくる。当たり前のようですが、日々の業務の中ではそれを言語化し、検討し、共有する時間を持つことは、実は難しかったりします。でもこういった活動においては、それはとても重要なこと。必要不可欠な時間として意識的に行っています。
今年度も、急ぎ、道を行くのではなく、丁寧に、うろうろしながら進んでいきたいです。

井尻貴子

写真左より
山口里佳(con*tio)、杉千種(con*tio)、長津結一郎(diver-sion)、井尻貴子(diver-sion)、三宅博子(diver-sion)、石橋鼓太郎(diver-sionインターン)

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「高齢社会における文化芸術の可能性」を考えるセッションに参加。

今年度は「週報」として、研究所日誌を書くぞー、と言いつつ、その日のうちに書かないとだめですね…。というわけで、代表の長津です。ソトコト5月号に掲載されたことを契機に、いろいろと仕事が舞い込んできており、ありがたい限りです。

そんななか、勤務日としている木曜日の動きをお伝えする「週報」。4月17日は、アーツカウンシル東京の方に誘われ、「フューチャー・セッション:高齢社会における文化芸術の可能性」というイベントを拝聴してきました。

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イギリスからたくさんのゲストをお招きし、「高齢者と芸術」という観点で活動している方のお話をお聞きするプログラム。たいへん盛りだくさんでした。
印象的だったのは、「高齢者」と言いつつ、多くの活動が「認知症患者」へのアプローチだったことです。症状として失われてしまう「記憶」についてアートが何ができるか、と模索して立ち上げられたプログラムや、アートへのアクセスを保障するプログラムなど、認知症という現実に対してアートがどのように対処できるか、という視点が多く、課題解決型の取り組みとして行われているのだなという印象を持ちました。

いっぽうで、長津がいちばん興味を持ったのは、「エンテレキー・アーツ」の取り組み。たった3人(と資料には書いてあるが、プレゼンでは2.5人と言っていた気が…)のスタッフで、多くのボランティアとともに、日本でいうところの社会包摂型アートプロジェクトを行っているプロジェクトのようでした。
「社会から取り残された個人やグループが、市民としてのつながりを再考する上で、芸術は中心的役割を果たすという信念のもと、①長期的な病気や複雑な障害を抱える若者、②重度の複合的な障害を抱える成人、③学習障害また高齢化に伴う障害のある高齢者(85歳から100歳まで)に向けた活動を行っている」と資料にもあるように、対象もさまざまです。事業のほうも、「孤立した高齢者たちが主催する大規模なパフォーマンス/キャバレーイベント」だったり、「英国における高齢者の体験や願望を探究する演劇作品」だったりと、刺激的な空間をつくるようなプロジェクトを行っているのだなという印象を持ちます。

障害者の表現活動、という言葉を使うときにも直結する課題だなと思いますが、「高齢者とアート」という括りをするとき/せざるをえないときにも、特定のアイデンティティをもつ人たちに対して、「課題を解決する」という視点を持つのか、それとも「ちがいを受け入れ、共になにかを生み出す」という視点を持つのかの差があらわれていたようでした。

当日の会場では、対話型のイベントとして、プレゼンテーションを聞いたあとにフロアで対話するプログラムも進められていました。残念ながら後ろに打ち合わせを控えていたため最後までいられることはできなかったのですが、対話型セッションのほうも「課題を解決する」という視点、すなわち「問題はなにで、そのプロジェクトではどのようなことをして、そのあとに成果はどう出ていたか」という視点ですすめられていたように感じて、少しばかり居心地の悪さもありました。エビデンス(根拠となる数値的基準)が重要視されるイギリスの潮流を知ることで、「成果」としてあらわれないような出来事について想像力をはたらかせるような日本の多くの実践に想いを馳せるような1日となりました。

当日の資料はこちらからも見られるようです。※PDF・5MBくらいありますので注意。

新年度、はじまりました!

4月を迎え、新年度が始まりました。
長-い名前の「多様性と境界に関する対話と表現の研究所」、2年目に突入です。
今年度は、この「研究所日誌」に、diver-sionの日々の活動の様子や、スタッフが今考えていること、ホットな出来事などを、随時アップしていこうと思います。今日はその第1弾。

・本日の活動
今年度の企画について、会議につぐ会議の日でした。今年は、昨年1年をかけてさぐってきた「迂回路」をつなぎ、より広げていくような、様々なイベントを考えています。ご期待ください!

・新スタッフが加わりました
4月より、インターンスタッフとして、東京芸術大学音楽環境創造科の現役学生でもある、石橋鼓太郎くんが加わりました。初仕事は、「JOURNAL 東京迂回路研究1」を読んで、感想文を書くこと(笑)。 そのうち研究所日誌にも登場します。どうぞよろしくお願いします。
 
・ジャーナルの反響、いただいています
3月に完成した「JOURNAL 東京迂回路研究1」。うれしいことに、さまざまなところから反響をいただいています。WEBで読むことが出来るものをご紹介。

○トークシリーズ「迂回路をさぐる」にご登壇くださった、即興楽団UDje( )のナカガワエリさん。 
http://ensembbbu.exblog.jp/

○もやもやフィールドワークにご協力いただいた、RFC(レインボーフォスターケア)の藤めぐみさん。
http://rainbowfostercare.jimdo.com/news-events/
ジャーナルのコラムもご執筆くださいました。

配布をご希望の方は、こちらからお申込みください

・雑誌「ソトコト」に掲載されました
Facebookではお知らせしましたが、雑誌「ソトコト」5月号に、多様性と境界に関する対話と表現の研究所代表理事の長津のインタビューが掲載されました。なんと、巻頭ページです! 1年間の活動を通して考えたことや見えてきたことを、丁寧に記事にしてくださっています。豊富な写真とともに、ふだんの活動の様子もかいま見える内容です。
この記事にも、さまざまな反響をいただいております。長津いわく、「もう悪いことはできない」…。
一部はウェブでもお読みいただけますが、全文は雑誌でお楽しみください。
http://www.sotokoto.net/jp/interview/?id=129

【ご案内】第2回東京フォーラム「いま考えるTURN」に、登壇します
代表の長津が事務局をつとめる、日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展「TURN/陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」。その関連イベントとして、第2回東京フォーラム「いま考えるTURN」が、今週末の4月12日(日)に開催されます。「アール・ブリュットとは何か」を、東京から発信する機会。よろしければ、足を運んでみてください。
http://www.hikarie8.com/court/2015/03/2turn.shtml

みやけ